午後4時30分に葬儀屋さんに母と到着。
父の妹が千葉から既に来ていた。
午後5時前に納棺の儀。
その後、斎場に父の入った棺を納めた。
午後7時にお坊さんがこられたので、母と兄と自分の3人でお坊さんにご挨拶。
その場で、父の戒名をいただいた。
お通夜が開始。
読経は30分ほどしていただいた。
その後は、お通夜に参列された親族で、お寿司を食べて午後10時頃まで。
母と兄夫婦、そして自分は、そのまま泊まった。
夜中に時折父の元へ。
穏やかな顔だった。
午後4時30分に葬儀屋さんに母と到着。
父の妹が千葉から既に来ていた。
午後5時前に納棺の儀。
その後、斎場に父の入った棺を納めた。
午後7時にお坊さんがこられたので、母と兄と自分の3人でお坊さんにご挨拶。
その場で、父の戒名をいただいた。
お通夜が開始。
読経は30分ほどしていただいた。
その後は、お通夜に参列された親族で、お寿司を食べて午後10時頃まで。
母と兄夫婦、そして自分は、そのまま泊まった。
夜中に時折父の元へ。
穏やかな顔だった。
昨晩は5日ぶりにちょっとワインを飲んだので、よく眠れてちょっと疲れが取れた。
今日は、兄夫婦と、母と自分の4人で区役所へ行って、父の死亡届等の手続きを始めた。
明日の通夜と葬儀の食事の人数を確定させたり、火葬場への移動手段を確定させたりと最終的な詰めもした。
前面での対応は兄貴で、自分は裏方と言うか後ろから小うるさく指示(^_^;)
でも慣れないことをすると頭が疲れる・・・。
仕事している方がよっぽど楽。
明日はお通夜。
葬儀まで皆健康で乗り切りたい。
昨晩は、午後11時半頃寝た。
午前1時17分に枕元においたスマホが鳴った。
慌てておきたけど、半分寝ぼけた状態で頭がうまく回らない。
でも、こんな時間に電話かかってくるんだから病院に違いなく、さらに重大な事態しかありえない。
看護婦さんから、最高血圧が60に落ちたのでいつ心臓が止まるかわからない状態と連絡を受けた。
帰宅するときは90ぐらいはあったんだけど。
直ぐに準備して、家を1時25分に出た。
病院には午前2時前に到着。
1階の守衛所で時間外訪問の手続き中の兄夫婦がちょうど居て、一緒に病室へ。
病室のあるフロアに到着すると、看護婦さんから1時30分に心停止したこと聞いた。
病室に入って、父の手を握るとまだしっかり温かかった。
違うのは、呼吸が止まっていることだけ。
病室に泊まっていた母は、最期の瞬間立ち会えたので良かった。
女医さんが来られて、午前2時8分に臨終となった。
それから、看護婦さんたちが丁寧に御体を綺麗にしてくれて、服を着せてくれた。
葬儀屋に連絡して、御体を午前3時半過ぎに病院から送り出し。
母を連れて一度自宅へ帰宅したのは午前4時半。
殆ど寝てないので、フラフラだけで、それからベッドに入っても眠れず。
午後2時から葬儀屋さんとの葬儀の打ち合わせ。
ちょうどお彼岸でお寺さんの時間が取れず、結局26日夜にお通夜、27日午前中に葬式、午後から初七日と決まった。
最近はお通夜は、お教だけでその後は一度家に帰宅するのが一般的だという葬儀屋さんの説明だったけど、父を一人にするのは可哀想だと母が言って、夜通しロウソク番をする昔ながらのお通夜をすることにした。
最後の一緒に居られる時間だから、母の気持はよく分かる。
午後5時半頃帰宅。
眠れなくて疲れているので、ちょっとだけワインを飲んだ。
会社には今週いっぱいは休むことを連絡。
別部署のVPになくなったことを伝え、今週は休暇、来週は未定とつたえたら、英語で丁寧なお悔やみの言葉とともに、「お母さんのケアを大事に。急いで上海に戻ってくる必要はない」と温かいメッセージ。
本当に有り難い。
父に今度会うのは天国で。
それまで空から皆を見守って待っていてください。
兄が一晩付き添っていたので、今日は午前11時半にゆっくり目に病院に行った。
兄によると、もう呼びかけても目を開けることもないらしい。
昨日帰る時点で、片言喋る言葉も、口の筋肉がうまく動かず何言っているかわからない状態だったので、それが進んで体が動かいなんだろう。
酸素マスクの少しの抵抗で口が動かせない状態だったので、話しそうなときは酸素マスクを顔から浮かしてあげた。
昨日は、首の動きでNOとYESがわかったんだけど・・・。
こっちから話しかける言葉がわかっていることを祈る。
ランチは病院にあるレストランで、母親と一緒に。
その間、兄は父の付き添い。
病室に戻って、兄と交代して、兄は帰宅。
夕方に、兄嫁と孫が面会に来たけど、孫は一日遅かったなぁ。
昨日だったら・・・。
仕事だったんだから仕方ない。
会社には来週も休むと連絡を入れた。
帰国休暇を伝えてなかった2足のわらじのもう一つの部のVPにも休暇を連絡。
そしたら、”Family First, please will take care your family”
とだけのシンプルで有り難い返事をいただいた。
中国は、家族第一な文化。
結局今晩は母だけで病室に泊まることになって、自分は一人で帰ってきた。
なんか高齢の母親より、自分のほうが疲労度が強い。
今後のこととか色々調べたり、母のサポートとかしていると、血圧がかなり上がっている感じ。
頭がボーっとする。
一人で吉野家にいって、さっさと飯食った。
いつ呼び出されるかわからないから、気が休まらない。
今日で4日禁酒。
今朝、午前8時35分頃に病院からすぐに来てくださいという連絡。
午前中は兄貴が面会に行って、自分たちは墓参りに行ってから、午後3時から面会に行く予定だったので、急遽準備。
午前10時に家を出て、病院についたのが10時42分。
兄貴夫婦は30分頃に到着。
病室に入って、親父を見ると病院からの連絡通り呼吸が非常に荒い。
そして、昨日までつけてなかったオープンタイプの酸素マスクつけてた。
でも、声かけると目を開けて反応した。
まだ意識はあった。
昨日持ってくると約束した首を冷やすリングを持ってきたというと、つけてくれという意思表示。
一個つけたら、「家の冷蔵庫にいっぱいあったはず」というようなことをなんとなく言っているようだ。
5つ持ってきてたので、首に2つつけた。
もうだめかと誰もが思ったけど、いつも愛用していた首を冷やすリングを何度も交換したためか、夕方ぐらいから呼吸も落ち着いた。
意識はあるけど、もう何も食べれない、飲めない状態。
小さな氷を一つづつ口にいれる程度。
母は昼には今晩病室に泊まると言ってたけど、症状が落ちつたのを見て、色々準備もあるしということで午後6時に今晩は帰宅することにした。
兄が一人で、病室に泊まることに。
明日は、我々が泊まる予定。
昼もまともに食べずに、一日の疲れを癒やすために帰りに和食さとに寄って晩ごはんを食べた。
明日は、泊まる予定でかなりの体力消耗するだろうから、栄養つけなきゃ。
帰国するときは日曜日に上海戻りを考えていたけど、今の状況では少なくとも来週いっぱいは上海に戻れそうにない。
頑張って母のサポートに徹する。